#133 仮説と検証の繰り返し

今朝はアラームが鳴る5:30より前にスッキリ目が覚めた。

暑くもなく肌寒くもなく丁度いい気温だ。湿度も乾燥し過ぎずジメジメし過ぎず丁度いい。

体調もなんだか良さそうだ。未消化物もあまり残っていない感じがして身体が比較的軽い。

最後がいつだか思い出せないほど、久しぶりにこんな爽やかな朝を迎えられた。そこにこの上ない幸せを感じた。

そしてアラームが鳴るまでの30分間を急遽ボーナスタイムとし、読みたい本を読んだ。

なんてゆとりのある素敵な朝なんだ…。ここでもう一度幸せを感じた。

いつもこんな風に1日をスタート出来たら良いな。自然とそんな想いが込み上げてきた。

今朝は二日間の休み明けの朝ヨガ。

前回金曜日の練習で、改めて深い集中状態を作るためには呼吸に常に意識を向け続けることの大切さを再認識していた。

今日の練習では、前回の感覚を思い出しながら注意深く呼吸に意識を向けて取り組んだ。

それが大切だと分かっていても、やはり常に注意深く意識を向け続けるのは難しい。

最近の練習を振り返ると、呼吸と意識を繋ぐ鎖がだいぶ緩んで動き回る思考の誘いに乗ってばかりいたことに気づいた。

そりゃあ練習の質もある一定のレベル以上は上がらない。引き続き毎回の訓練が必要だ。

最近のクラウンチャーサナは、一進一退で深まっていっているのかとても分かりにくい。

だけど今日はコツ?と言っていいのか分からないが、まずは膝を曲げたまま胸の方に近づけそこから徐々に伸展させていくと、呼吸もそれに合わせて徐々に入っていき目指す形に近づけることが出来た。

明日の練習でも確認でやってみたいと思う。

今日のバックベンドは足首をキャッチして自立することが出来なかった。

ここ最近は連続して自立出来ていたので、その時と比較して何がポイントなのか気づくことが出来た。

それは、足首をキャッチする前で勝負が決まっていること。如何に重心を足に残したまま足首をキャッチ出来るかがポイント。

だからアジャストしてくれる先生の手を頼り過ぎてしまうと足で踏ん張る力が抜けてしまい、その状態から足首をキャッチすると自分の力で立とうにも力が全く伝わらない。良い気づきだった。

最後はシールシャーサナB。毎回練習の度に改善されてはいるが、まだまだ安定感がない。

今日も10回ぐらいトライしてようやく10カウントできたぐらいだ。

話は少し逸れるが、今は沢木耕太郎さんの著書 凍 を読んでいる。一言で言うなら命懸けの山登り・クライミングの話だ。

課題のアーサナやラストポーズというのは、まさにその本に出てくる難関のクライミングに挑戦するのと似ていると思った。

難関の山を登頂するためには、何も考えず真正面からぶつかるのでは決して登れない。どのルートで、どのような方法で、何の道具を使うのが最適なのかを念入りに準備をするそう。自然相手ということもあり常に死と隣り合わせなので当然のことかもしれない。

それに比べたらアーサナは怪我のリスクはあっても死にはしないので、もう少し気楽にやって良いのかもしれないとも思った(笑)

難関のアーサナも同じで、なかなか簡単には出来るようにはならない。毎回仮説を立てては検証を繰り返す。何度やっても上手くいかないこともザラにあるが、目指す形を想像して、そこに辿り着くためのイメージや意識だけは持ち続ける。

それさえ手放さなければ、何度もトライしているうちにもう少し〇〇すれば目指す形に近づけそうなどといった仮説が湧いてくる。

それを繰り返して、一歩進んだら景色が変わりまた違う仮説やアイデアが出てきたり、とにかく自分の感覚を頼りに進んでいく。するといつの間に目指す形に辿り着いている。

それがアーサナプラクティスの一つの醍醐味であり、面白いところだと思う。先生からのアドバイスはとても参考になるが、ただ言われた通りにやるだけでなく、繰り返すうちに自分の言葉や感覚に変換していく必要がある。

話は戻るが、今日のシールシャーサナBは、10回トライしているうちに手腕で作る土台の心元無さが安定感に強く影響していることに気づいた。

そのため、手の握り方や肘と肘の距離感を調整して一番しっかりとした土台が作れるポジションを模索し、目指す形に辿り着くことができた。

今日のお昼はとうきびご飯、夕飯は麻婆豆腐。中華料理は定期的に食べたくなるので作れるようになって良かった。自信がついた。

どちらも初めて作ってみたのだが美味しく出来た。料理のバリエーションが増えたのも嬉しい!また一つ自分の中の難しそう面倒くさそうという思い込みが消え、世界が広がったような感じがしている。

今日も良い一日でした。

明日も素晴らしい一日になりますように。

おやすみなさい。