2025/10/25(土)
今日は週一の練習休み。
早朝6時からクラスメイト8名と一緒に、
車で片道3時間かかるお寺へショートトリップ。
前回複数名で遊びに行った川と同様、
お寺が見たいというよりかは、
海外の友人と同じ時間を過ごすことへの好奇心で、
一緒に行くことを決めた。
昨シーズンもお寺は見に行っていたけど、
その時はあまり真剣に見学しておらず、
かつあまり興味が持てず、感動は薄かった。






だけど、今回は
この細かい彫刻もいかにも重そうな石を運搬したことも
またその建築技術も、
今から1,000年近くも前に,
人力だけでこれを建てたなんて信じられないと感動した。




お寺の感想はこの辺にして、
本題は、今回のショートトリップ中の
英語コミュニケーションについて。
結論、口数が極端に少なく、周りから気を遣われてしまうほどだった(笑)
仮に全員日本人だったとしても、
グループに饒舌な人がいる場合、
空気を読んで全体のバランスを取ろうとするからか、
自然と口数が減る傾向にある。
しかも今回は、
割と真剣に寺院を見学していた上に、
何となく会話の内容は分かっていても
細かくは英語が聴き取れず、
あまり皆んなの流れやノリに
ついていきたくてもついていけなかった。
その時の自分は皆んなでいるはずなのに孤独で、
有り難いことだけど、
周りのメンバーが時折分かりやすく気を遣って声を掛けてくれるのが
分かってあまり心地良くなかった。
心配されないように、
なるべく笑顔で明るく振る舞っていたり、
孤立していないように見せていたつもりだけど、
その時の内面の状態が、表情に出てしまっていたのかもしれない(笑)
過去に、日本人グループでも似たような経験があり、
国籍問わず同じ対応をされるということは、
周りからは同じように見えているということで、
それが不思議というか、世界共通の認識で面白いと思った。
そして裏を返せば、
どんな環境でも自分の振る舞いは変わっていないという所に、
自分らしさが現れていて面白いとも思った。
その時の自分はあまり好きではなく、
直したいとも思うのだが、
客観的にどういう風に見えているかが分からないので
改善のしようが無い。
でも、そんな不器用な自分が自然なのだとすれば、
無理して直そうとする必要もないとも思う。
言葉が不自由なく通じる日本人だとしても、
通じ合う人合わない人がいるのだから、
海外の人みんなと仲良くなれなくても
それは普通だと思っていい。
友達は沢山というタイプではなく、
少ない心の許せる友達を長く大切にしたいタイプなので、
それは日本も海外も関係ない。
先日インド人女性と1対1で会話した時など、
リラックスして自分のペースを保ている時は、
ある程度スムーズにキャッチボール出来た経験がある。
英語のレベルアップは必須だと思うが、
自分の英語に自信を無くす必要はない。
終わってみれば、
この状況に飛び込んで行ったことだけで、
よく頑張った自分と褒めてあげたい。
この悔しさをバネに、
また少しづつ成長して行きたい。
