#103 2度目のマインドフルゴミ拾いから得た気づき

こんにちは!

今はお昼ご飯を食べた直後の午後14時頃。若干眠気は感じながらも複数やりたいことがあるので、若干の焦りを感じている。いずれにせよ一つずつ真正面から向き合っていくしかない!と心に決め書き出した。

今朝は新月ムーンデイのため、朝ヨガはお休み。

その代わり?でも無いのだが、ヨガコミュニティーで意欲的に活動している月一回のマインドフルゴミ拾いに朝から参加してきた。

今日で通算2回目の参加だったのだが、また新たに気づいたことがあったので今回はそれについて。

①ごみとそうでない物とを見分けること

一見ゴミのように見えて、よく見てみると石だったり木や葉っぱだったということが往々にしてある。

今日は途中、そのようなゴミ以外の物を意識して拾わないようにいたことに気づいた。

それらは人の手で意図的にそこに置かれたものではなく自然発生的にそこに在る物で、そこに在ることで生物が生きれたり、地面が潤うことがあるのでは?と考えたからだ。

ただ秋頃の大量の落ち葉に対してはある程度人の手を加えないといけない例外もある。その時々に応じた見極めが大切である。

②ゴミ拾いに集中しながらも俯瞰的に見ること

今日のゴミ拾いエリアは、比較的人通りが多く、道幅も広いところばかりではなかった。そういうエリアのゴミ拾いをする時は下だけを見ている訳にはいかない。

通行人の方の通り道にも配慮しながらゴミ拾いをする必要がある。それを欠いてしまうと、ゴミは無くなって街は綺麗になるが、通行人の人にはストレスを感じさせ、またゴミを捨てかねないし、せっかく素晴らしい活動をしていてもあまり良い印象を受けない。

大袈裟かもしれないが、たまたま通りすがり通行人を未来のゴミ拾いする人や今後ポイ捨てをしなくなるという可能性を秘めていると考えるならば、下だけを見てゴミ拾いをするのはもったいないと思ったのだ。

その場の環境や状況にもよるが、ゴミを拾いながら挨拶運動をしても面白いかもしれない。街を綺麗にするだけでなく、街を元気にするきっかけを作ることも出来る。

時間以外は一切コストがかからない集客活動にもなりうる。ゴミ拾い中に出来た人との繋がりが、自分の活動を知ってもらう契機になり、相手が好印象を受けたならファンになってもらえる可能性がある。案外そういう意図せぬところにチャンスはあったりして、一つ一つの行いが全て繋がっていることを感じる。

③ゴミ拾いは素晴らしい活動であるはずなのに、恥ずかしいと思ったり思われたりすることがある。

これってゴミ拾い以外に当てはまることあるのかな?と不思議に面白おかしく感じた。

かくいう僕も前回1回目のゴミ拾いの時は、足を屈めてゴミを拾うことに抵抗があった。確かに恥ずかしいとも似た感情があったし、やってみて初めて街が綺麗になる以外の素晴らしさを体感することが出来た。

やってみないと気づけない魅力的ことはきっと山ほどある。だけど、たった一度の人生でそれを全てやり切ろうというのはかなり難しい。実行したとしても目の前の幸せを追いかけるのに必死で、繰り返し単発的な幸せを得るので精一杯。

僕は、そんな矢先にヨガに出会ったような気がする。まだまだ探求中の身ではあるが、ヨガを始めて徐々に自分への理解が深まっていき、自分にとっての本当の幸せを考えるようになった。

それまで、目の前に広がる外側の世界に向いていた意識が一見小さく狭く見える内側の世界に意識が徐々に向くようになり、内側の世界こそ広く深〜い本質的な部分があることに気づいた。それを僕は日頃マット上の練習で自分と向き合うことから学び、私生活に活かしている。またその逆も然り。

まさかゴミ拾いの話からこんな話に広がるとは自分でも想像できなかった。

途中、満足して切り上げようと思った瞬間もあったけど、耐えて一歩踏み出してみて良かった。

今日はムーンデイのため、約2週間に1度のメルマガ配信日です。

今回は“vol.4 新生活が始まって2ヶ月経ち起きた変化をあらゆる観点から振り返ってみた”というテーマで、vol.1以来のビデオレタースタイルでお届けします。

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引き続き良い週末をお過ごしください。

それではまた!